ViVO株式会社代表取締役社長、角田慎太郎氏。
2007年に新卒で株式会社キーエンスに入社。その後、株式会社セールスフォース・ドットコム(現セールスフォース・ジャパン)での営業責任者、キャディ株式会社での営業統括責任者を歴任し、2021年にViVO株式会社を立ち上げた。掲げるミッションは、「生み出すのは、チャレンジする余力。」
現在はSalesforceやYextをはじめとするITシステムの導入・運用支援に加え、AIを活用した生産性向上ソリューションを展開している。だが角田氏が語る事業の核心は、「システムを入れること」ではない。散らばったデータと属人化した業務を整理し、利益が回り続ける仕組みに変えることだ。
日系トップ企業、外資系SaaS、製造業スタートアップ——結果を出し続ける仕組みを最前線で体得してきた角田氏。その原点には、18歳のときに直面した「人は死ぬ」という実感がある。
高い報酬を得ていたサラリーマン時代に、それでも手に入らなかったもの。2年前に渡ったアメリカで目の当たりにした、「全部AI」の光景。そして、化粧品での起業の失敗。そのすべてが、いまの経営判断につながっている。
営業利益100億、そして1000億の企業価値。自分の肉体が死んだあとも残る会社をつくる——その執念の理由を、本人の言葉でたどっていく。
「システムを入れることがゴールじゃないんです。利益が回り続ける仕組みをつくることが大事なんです」
散らばったデータを、利益につながる意思決定に変える
Qまず、現在はどのような事業をされているのでしょうか?
一言で言うと、「ビジネス×AI」です。僕らはもともとSalesforceや営業の領域から来ていて、ビジネスとテクノロジーを組み合わせてお客さんの課題を解決していく、というところは創業当時から変わっていません。そこにAIの波が来て、AIで解決できる領域が一気に増えた。それをちゃんと型化しているところです。
やっていることを具体的に言うと、構造化されていないデータを構造化して、散らばったデータと属人化された業務を整理して、「利益につながる意思決定システムを構築する」。これに尽きます。
AIに食わせようと思っても、データっていろんなところに散らばっているんですよ。Salesforceの中にもある、スプレッドシートにもある、基幹システムにも入っている。「いや、これは担当者の頭の中にしかないです」というものもある。この状態だと、意思決定に使えないんです。
だから僕らは、コンサルティングから入って、エンジニアリングまでやります。最初に、それをどう組み合わせて、どう構造化したら欲しいアウトプットが出てくるのかを聞く。そのあと実装まで手がけて、PDCAが回る仕組みをつくる。「こういう業務にすべきです」と提案して終わりではなく、実際に動く仕組みまでつくる。そこが一続きになっていないと、利益は変わらないので。海外で言う「フォワード・デプロイド・エンジニア」の考え方に近くて、僕らはこれをFDEと呼んでいます。
Q実際には、どのような形で仕組みをつくっているのでしょうか?
たとえば、建設・建築のマーケットで粗利の改善をテーマにやっている取り組みがあります。建設って、いわゆるどんぶり勘定で「なんとなくこれで売れます」となりがちなんですね。そこで、まず工程ごとの見積もりをつくれるシステムをつくりました。
そのうえでメインで使ってもらうのが、日報です。毎日どういう作業をしたか、重機は何を使ったか。それから出来高ですね。水道管を何メートル掘ったとか、工程ごとに何カ所掘ったとか、そういうものがあるんです。
この情報を毎日入れてもらうだけで、もともと予定していたものとのギャップと、何が問題だったのかが洗い出せる。そこに「ここがおかしかったよね」と入れてもらうと、それがさらに見積もりの学習データになっていくんです。
使う道具にはこだわっていません。Salesforceでやることもあれば、HubSpotでやることもあるし、なければ独自にシステムをつくることもあります。大事なのは、業務を理解して、何のデータが必要なのかを整理して、利益につながる形に落とすことなので。
Qその考え方には、どのような問題意識があったのですか?
Salesforceの事業をやっている中で、お客さんから「入れてもうまく使えない」という声を聞いていたんです。じゃあ結局、僕らが解かないといけない問題は何なのか。そう考えたときに、経営者にとっては利益の改善が一番大事だなと。システムを入れることがゴールじゃない。PDCAが回り続けて、利益が生み出される仕組みが大事なんだ、と思ったんですよね。
多くの会社が失敗するケースって、「システムをつくります」というそんな簡単なものじゃなくて、まず要件自体が間違っているんです。間違ったイシューを解いているお客さんが、すごく多いと思っていました。何かをやろうとしたときに、「Excelが面倒だからシステム化したら変わるよね」と。そんなことはないんですけど、それをやっている会社さんが圧倒的に多い。
SaaSを入れても改善されないのはなぜかというと、業務とシステムが合っていないからです。「これを改善したらPDCAが回るよね」というポイントと、システムのインプットとアウトプットが一致していない。そうするとExcelが楽になっただけで、何も変わらないんです。やっていることが楽になっているだけなので。この課題を解くことがすごく大事だと思って、この領域をやっています。
「Excelが楽になっただけでは、何も変わらない。解くべきイシューを間違えないことが、すべての出発点です」
「各社最適」から「業界最適」へ。人にしかできない仕事は残る
Q今後、実現したいことは何ですか?
データをもっと集められる会社になると、その標準化が一社だけではなく、他社との標準比較ができる世界に行けると思っているんです。各社最適から、業界最適へ。ここに行きたいと思っています。
一社の中にも、その会社ならではの強みとして個別化したほうがいい領域と、業界全体で標準化したほうがいい領域の2つがあると思っています。データがどんどん集まってくると、たとえば建設のマーケットなら、先ほどの工程の標準化や、人の無駄なコストの削減につなげていけるんです。
方向としては、バーティカル(業界特化)に行こうと思っています。ホリゾンタル(業種横断・汎用型)のサービスだと、ちょっと足りないんですよ。僕もそこにいたからよくわかるんですけど、最大公約数を取ろうとするから、それは仕方がない。でも業界で見たときに、たとえば建設業界ならANDPAD(アンドパッド)のデータを使ってもいいじゃん、と思っているんです。いろんなデータを組み合わせたほうがいい。自社ですべてを持つことにはこだわっていません。データが集まることの価値のほうが大きいので。
データが集まることは、AIのための構造化データになっていくうえで大事なんですけど、SaaSの会社はそれをやりにくいと思うんですよね。自社の製品に囲い込みたいので。僕らは幸いそういう資産を持っていなかったので、やりやすい。世の中の無駄や、成功法則のようなものをAIで仕組み化して、人が人の手でしかできないことに時間を使える。そういう世界観をつくりたいと思っています。
QAIで型化を進める一方で、人にしかできない領域とは何でしょうか?
プロジェクトマネジメントも、僕らの提供価値の一つだと思っています。
たとえば社内の人間だと、「言いすぎたらまずいな」という気持ちが働くじゃないですか。でも僕らは外部の立場なので、言うべきことを言える。それをやることが仕事なので、大事にしているのは「配慮は必要だけど、遠慮は不要」という考え方です。社内の人間関係をわかったうえで、それでもやることは絶対にやり切る。
もう一つ、人間にしかできない仕事で言うと、この人はこう言っているけれど、実際にはこの人を口説かないと社内は動かない——そういうパワーバランスって、人間と人間が働く企業には絶対にあるじゃないですか。それを察知する能力は、AIにはまだできないと思っているんです。ここには時間を使いながら、仕組みづくりに伴走していく。そういうやり方をしています。
「配慮は必要だけど、遠慮は不要。社内の人間関係をわかったうえで、やることは絶対にやり切る」
18歳で知った「人は死ぬ」という事実
Q起業を考え始めたのは、いつ頃だったのですか?
18歳のときです。実は18歳のときには、もう起業を考えていたんです。
18歳のときに、3個上の姉が亡くなったんです。そのときに、「人って死ぬんだな」と思ったんですよ。当たり前のことなんですけど、頭でわかっているのと、実感するのは全然違って。このままで死ぬのは嫌だな、と思った。それが大きいです。
それに、小学校1年生の頃の通知表に「協調性がない」と書かれていました(笑)。「協調性って何?」って母親に聞いたくらいなので、たぶん本当に協調性がなかったんだと思います。集団行動は、昔から苦手だったんです。
ただ、母親は教師で、父親は大企業のサラリーマン。起業家一家ではなかったので、起業という選択肢自体は遠いものでした。それでも学生時代は、ビジネスコンテストに出たり、インターンをしたり、起業家育成の場に足を運んでいろんな人に触れたり。そういうことをずっとやっていました。
Qファーストキャリアにキーエンスを選んだ理由は何だったのですか?
インターン先の経営者から、「営業をしていれば食いっぱぐれないよ」と言われたんです。その会社は潰れちゃったんですけどね(笑)。
僕は2007年卒業なんですが、当時もそう言われていて、営業の道に進もうと。それでキーエンスとリクルートで悩んで、グローバルに行けるなと思ってキーエンスを選びました。結果的にはグローバルには行かず、名古屋で日本の仕事だけでしたけど(笑)。
「頭でわかっているのと、実感するのは全然違う。このままで死ぬのは嫌だな、と思いました」
報酬では手に入らなかった、「人生の選択の自由」
Qその後のセールスフォース時代は、どのような日々でしたか?
給与も青天井に上がっていく環境で、サラリーマンではありますが、報酬としてはかなりいただいていました。ポジションも事業ドメインも選べないけれど、やればやるだけ増えていく。ある一定の守られた範囲内で上がっていく経験は、楽しくてやっていた、という感じです。
ただ、それでも得られないものがあったんです。2つあるんですけど、1つは、大きな契約をいただいたお客さんと食事に行ったときのことで、いまでも覚えているんですけど、その日の会計がかなりの金額になったんです。別に払えなくはない。でも、ちょっと嫌だなと思ったんですよ。
そのときに、学生時代の自分を忘れていたな、と気づいたんです。「人生の選択を自由でありたい」——そのために会社をやりたいと思っていたのに、結果的にそうなっていない、と。
いま言語化すると、自由には、時間的自由、金銭的自由、空間的自由という大きく3つがあると思っているんです。その会計にざわついている時点で、金銭的自由は少なくとも得られていない。別にそういう場が好きなわけではなくて、付き合いでしか行かないんですけど、行ったときに「どうでもいいよ」と思えるかどうかは大事じゃないですか。それで、大きな組織の中にはいられないなと思ったのが1つです。
Qもう一つの理由は何だったのでしょうか? そこから、どう起業に至ったのですか?
もう1点は、他のチームのマネージャーの5倍くらいの売上を出していたのに、昇進しなかったんですよ。それで「なぜですか」と直接言いに行ったら、「これは自分のルールだから、2年間は何があっても上に上げない」と言われて。いまでも覚えています。
それまでに例外はあったんです。でも、ああ、自分は例外の対象じゃなかったんだな、と。そして、自分がどれだけ成績を上げても、こうやって人に自分のことをコントロールされるのは、絶対に後悔するなと思ったんです。大企業の中で上がっていくのは、やっぱり違うなと思いました。
そのときに、たまたまキャディに誘われて、「一緒にこれをやりましょうよ」と言われて行きました。ただ、担当することになったサービスが3ヶ月でクローズしてしまって、やることがなくなってしまったんです。次に別に就職したいわけでもない。もう会社をやるしかないな、と。それで会社をつくった、という感じです。
「どれだけ成績を上げても、人に自分のことをコントロールされるのは、絶対に後悔すると思った」
アメリカで見た「全部AI」の光景と、失敗から決めたこと
Q今の自分をつくった、最も大きな転機は何だったのでしょうか?
2年前にアメリカに行ったときですね。6期のうち5年くらいは、ずっといまのようなコンサル×システムのところをやっていたんです。でも日本だとまだ、名刺やExcelを便利にします、と言っている世界。それがアメリカに行ったら、もう全部AIでやられていた。それを目の当たりにして、AIへの比率をどんどん振っていきました。
その頃は、GPT-3.5くらいのレベルで、まだハルシネーションもあったし、「エージェント」なんて全然言われていない時代でした。文章の校正や壁打ちくらいにしか使われていなかった頃です。まだ、これが仕事のやり方そのものを変えるとまでは思っていませんでした。
でもアメリカを見て、いまの段階でできることにはもちろん限りがあるけれど、AIがない世界に戻ることはないと確信しました。パソコンが生まれたら、パソコンがない世界には戻らないのと近い感覚です。だったら遅かれ早かれ、全部こういう世界になる。それで、去年は自分でAIハッカソンの大会にも出ました。手を動かして体感しないと、判断できないので。進化を目の当たりにして、こういう領域で使えるんだな、と。
Qそれ以外に、価値観が変わった経験はありますか?
実は最初は化粧品で起業して、失敗しています。そこで学んだのは、自分に合わないビジネスはやらないということ。僕は基本的にすごくロジカルなので、化粧品のようなtoCのビジネスは自分に合わない。だからtoCはやらないと、まず決めています。
もう一つは、伸びている市場を選ぶということです。自分がいくら優秀でも、市場環境が勝敗を左右すると思っているので、伸びている市場の選定はすごく意識しています。
それで、AIをビジネスのドメインにする、と意思決定しました。伸びている市場で、自分の強みが活きる領域。この2つが重なるところを選んだということです。
Qこれまでで一番苦しかったことは何でしょうか? そして、どう乗り越えたのですか?
前提として、僕はめちゃくちゃスーパーポジティブなんです(笑)。
EO(起業家組織)に入っているんですが、そこの方たちのハードシングスを聞いていると、自分のなんてまだまだだな、と思います。もちろん、心がざわつくことはありますし、お金のことや失敗も、その当時はあります。でも、自分の中の一番の基準が「死ぬ」ということなので、命を取られるわけでもない。それと比べたら、と思ってしまうんです。だから、悩んでいる時間があったら、営業しよう。もったいないから、アクションしよう。それだけです。
一方で、人に関わる判断のように悩むことはあります。そのときは、基本的に法人格で考えるようにしています。個人だから悩むのであって、別にその人のことが嫌いなわけでもないし、働いているメンバーには基本的にありがとうと思っています。でも、法人格としてはやらないといけないことがある。最初は個人の気持ちで考えてしまって、ざわついていたんですけど、法人格で考えると違うな、と思うようになりました。悩んだときは「法人格としての自分だったらどう判断するか」と、常に個人の感情と意思決定を分けるようにしています。
「自分の中の一番の基準は『死ぬ』こと。だから、悩んでいる時間があったら営業しよう」
1000億いくまでやめない。変える側に、人生を賭ける
Q経営者として、どこを目指しているのですか?
1000億いくまでやめないと思っています。毎年売上は伸びているんですけど、まだこれだと1000億には本当にいかないなと思っている。だから、このスピードだといけない、という焦燥感がすごくあります。具体的な目標としては、営業利益100億を9年以内に。ひとつのサイズ感として、そこを置いています。
数字にめちゃくちゃこだわりがあるというよりは、さっきの「死」につながるんです。自分の肉体が死んでも、残っていく会社をつくりたい。ビジョナリーカンパニーを、自分たちの言葉で言語化していきたいと思っています。営業利益100億くらいの会社って、みんなが知っていて、創業者がやめても亡くなっても残り続けているところが多いと思うんです。
18歳のときに「人は死ぬ」と実感したところから始まっているので、自分がいなくなっても回り続けるものをつくる、というのは、たぶん一貫しているんだと思います。
Qこれから社会に出る若者に、最も伝えたいことは何ですか?
AIの時代なんで、フルスイングでチャレンジしたらいいんじゃない、と思います。今日もたまたま別のセミナーで話していたんですけど、めちゃくちゃチャンスだと思うんですよ。
いまは時代の変革期です。メルカリやサイバーエージェントがなぜああなったかというと、モバイルシフトやインターネットシフトがあったからですよね。こういう時代にこのタイミングで入れるのは、キャリアとしてめちゃくちゃ運があるということなんです。フルベットして、日本をもっと良くしていこう、一緒に、と。
僕らはいまAIの事業をやっていますが、それ以外にも宇宙やロボティクスがありますよね。仮に僕が20代に戻るとして、「これから鉄鋼をやります!」となっても、新日鐵を抜くのは厳しいですよね。積み上げてきた年数が違いすぎる。でもAIの領域なら、「めっちゃ知ってます」という人でも、1〜2年しかやっていないんです。
ロボティクスも、昔の概念といまとでは違っていて、これまではソニーやHondaのようにハードウェアで解決しようとしていた。それがいまは、テスラのようにソフトウェアでどう解決するかの時代になってきている。先人の先行利益がそれほどないわけです。そうしたら、一緒に抜ける可能性は全然ある。そういうほうが、楽しくないですか。
Q変化そのものを怖がる人には、どう伝えますか?
そういう人は、どの時代にもいますよね。ただ、M&Aや事業売却も含めて、企業の寿命はどんどん短くなってきています。平均で20何年。一方でキャリアは、60歳まで働くとして40年はあるわけです。ということは、少なくとも1回は転職するということなんですよね。
世界の時価総額ランキング50位くらいまでを見ると、MetaやGoogleのように、僕らの親世代が生まれていない時期にできた会社なんてないですよね。1989年の世界の時価総額トップ50には日本企業が32社入っていて、いまは1社です。いまのトップ50を見ると、もちろん昔からある企業もありますけど、Apple、NVIDIA、Microsoft、Amazon、Alphabet、Meta、TSMC、テスラ……。ほとんどが親世代が生まれてからの会社なんです。これが資本主義の現実です。昔からある会社が残っているのは日本の標準であって、グローバルのスタンダードじゃない。だから、これだけ日本のGDPが上がっていないんだと思います。
だから、「変化が怖い」と言っていると、この中には入れないんです。変化しないと、そこには立てない。何のために勉強してきて、これから働いていくのか。変える側になるのか、沈んでいく側で見守るのか。どっちに人生を賭けたいですか、ということです。
「変える側になるのか、沈んでいく側で見守るのか。どっちに人生を賭けたいですか」
EDITOR'S NOTE / 編集後記
18歳で「人は死ぬ」と知った少年は、時間的・金銭的・空間的な自由を求めて経営者になった。キーエンスで営業の型を、Salesforceで仕組みを、キャディで事業の現実を知り、化粧品での失敗を経て、AIという伸びる市場に自分を賭けた。
事業の話でも、キャリアの話でも、角田さんの言葉は「何を解くべきか」に戻っていく。システムを入れることではなく、利益が回り続けること。報酬の額ではなく、人生の選択が自由であること。問いの立て方を間違えない人なのだと思う。
その先に見据えるのは、営業利益100億、そして1000億。自分の肉体が死んでも残り続ける会社。
「悩んでいる時間があったら、営業しよう」——その一言に、この人の全部が入っている。
ViVO株式会社 代表取締役社長。2007年に新卒で株式会社キーエンスに入社し、営業およびチームのKPIマネジメントを経験。その後、株式会社セールスフォース・ドットコム(現セールスフォース・ジャパン)にて営業責任者、キャディ株式会社にて営業統括責任者を歴任。2021年にViVO株式会社を設立。「生み出すのは、チャレンジする余力。」をミッションに、SalesforceやYextなどのITシステム導入・運用支援と、AIを活用した生産性向上ソリューションを展開している。
