キャリアは、選び直せる——人事20年・QOOLキャリア山中泰子が、役職を離れた日に見つけた答え – ZEROWORKS(ゼロワークス)
EXECUTIVE INTERVIEW
No.017
EXECUTIVE INTERVIEW

人事20年。キャリアは選び直せる

COMPANY
株式会社QOOLキャリア
NAME
山中 泰子
CATEGORY
人材・採用
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52 Views#選び直せるキャリア#人事20年#ライフステージ

「堂々と定時で帰りたいから、契約社員になりたい」。

人事として20年近く、多くの社員と向き合ってきた山中泰子さんに、いまも忘れられない相談があります。子どものお迎えのために先に会社を出る。そのことに肩身の狭さを感じた社員が、自ら雇用形態を下げることを願い出た相談です。

制度がないわけではない。能力も、意欲もある。それでも、職場の空気がキャリアを狭めていく。

そして、その現実に立ち会っていた山中さん自身も、上場企業の執行役員として働いたのち、産休・育休から復帰したときに役職を離れ、メンバーとして働くことになりました。当時は、それを当然だと思っていたと言います。

三重県の田舎から、東京学芸大学の陸上競技部へ。就職氷河期に契約社員として社会に出て、派遣の事務職から人事の世界へ。執行役員、降格、転職、フリーランス。そして2022年4月、株式会社QOOLキャリアの代表取締役に就任します。

いまは、ライフステージの変化によって誰かがキャリアを諦めなくていい社会を目指し、働く個人と企業の両方に働きかけています。遠回りに見える歩みのひとつひとつが、どうやって事業につながったのか。本人の言葉でたどります。

「子どもを産んだのだから、キャリアが後退するのも当然だと思っていました」

01
SECTION 01

個人と企業、両方に働きかけるのには理由がある

Q現在の事業と、その中心にある「TUMUGU」は、どのようなものなのでしょうか?

大きく3つです。ひとつは、産前産後の女性向けのキャリア支援です。妊活、妊娠、出産、育児といったタイミングで、働き方をどうするかを一緒に考える仕事です。ふたつめは、人事領域のコンサルティングです。企業の側に入って、制度や仕組みをつくるところを支援しています。みっつめが、「TUMUGU(つむぐ)」というライフステージ特化型の福利厚生サービスです。

妊活、出産、育児、介護。人生には、働き方に影響する出来事がいろいろあります。TUMUGUは、そうしたタイミングを迎えた方が、会社を離れずに、自分らしい選択ができるように支えるためのサービスです。福利厚生という言葉を使っていますが、モノやお金を配るという発想ではありません。選択肢を知ってもらうこと、相談できる相手をつくること。そこが中心です。

ライフプラン経営やライフデザインといったことに、いまは大手企業もどんどん取り組んでいかなければいけない流れになっています。たとえば、ある旅行会社のグループでは、グループ全体の3,300人の方とご一緒しています。新卒の入社時研修で「ライフとキャリア」をテーマにした研修をさせていただいたり、グループの経営層や管理職の方に向けたコミュニケーションのセミナーをさせていただいたり。全員向けも担当しているので、基本的には3,300人の方を見させていただいています。

少子化が進んで、働く人の幅も広がっています。多様な人材が活躍する組織の中では、世代によって価値観も、大事にしているものも違ってきます。その奥行きや背景をみんなが理解し合って、配慮のあるコミュニケーションをしていかなければいけない。そういうことを考えていただく場になっています。

Q働く個人への支援と、企業へのコンサルティング。両方をなさっているのは、意図的なのでしょうか?

意図的です。どちらか一方では動かないと思っているからです。

女性に向かって「もっと頑張りましょう」と伝えるだけでは、社会の構造は変わりません。かといって、企業に制度を導入するだけでも足りない。制度があっても使われない、ということが本当に起こるからです。だから、個人と企業の両方に働きかけます。

そう考えるのは、私自身が、両方の側にいたからだと思います。企業の人事として制度をつくる側にいましたし、働く側として、その制度を前に遠慮した経験もあります。どちらの気持ちもわかるというより、どちらの側にいても同じところでつまずいた、という感覚です。

「制度があっても使われない、ということが本当に起こるんです」

02
SECTION 02

直感と猪突猛進で、契約社員から人事の道へ

Qどのような学生時代を過ごし、社会に出られたのでしょうか?

三重県の出身です。田舎から出てきました。

入学した東京学芸大学は、学校の先生を目指す人が多いところです。私も中学と高校の教員免許を取得しました。それと、体育会の陸上競技部に所属していて、日々練習に励んでいました。学生時代の記憶は、だいたい部活です。

学生時代の私は、将来、起業したい、経営者になりたいと明確に考えていたわけではありません。むしろ、就職氷河期のなかで就職活動は後手後手でした。企業研究や自己分析に触れることもなく、社会人生活の最初は、契約社員として働き始めています。仕事は、インストラクターでした。

Q当時のご自身は、どんな方だったと思われますか?

先のことを考えて計画的に動くタイプではありませんでした。直感と、猪突猛進です。とにかく目の前にある仕事に向き合って、自分にできることを一つずつ増やしていく。それをずっと大切にしていました。

ほかに大切にしていたのは、3つです。周囲とのコミュニケーションは丁寧に。期待された役割は期待以上に。あとは、健康と笑顔で成果につなげる。戦略があったわけではないので、そこしかなかった、というのが正直なところです。

Q人事の世界には、どのようにして入られたのでしょうか?

最初の転機は結婚です。パートナーとお休みのタイミングが合わなくなったことをきっかけに、働き方を見直しました。それで、派遣で事務職へキャリアチェンジしています。

そのときは、人事という仕事をまったく想像していませんでした。そんなきっかけから人事としての人生がスタートするなんて、当時の私は思ってもいなくて。人生わからないものですね。

人前で話す経験を活かせる仕事として、新卒採用の会社説明会を担当する仕事に応募したんです。インストラクターの経験が、そこで効きました。そこから人事のキャリアが始まって、結果として20年近く続いています。

パソナグループでは、営業と人事を担当しました。新卒採用、中途採用、人事制度の立ち上げなど、幅広い仕事を経験しています。最初から「人事のプロになろう」と決めていたわけではありません。生活が変わったから、仕事も変えた。その積み重ねです。

「直感と、猪突猛進でした」

03
SECTION 03

仕事の射程が広がり、制度の限界も見えた

Q人事のお仕事のなかで、見方が変わった経験はありますか?

29歳頃です。ひとり親家庭の就業支援事業に携わって、全国各地に支援センターを立ち上げました。あの経験は、私の視座を大きく変えました。

自分の仕事が、社会の課題や誰かの人生を変える力を持っていると実感したんです。それまでは、目の前の会社の採用や制度を回すことが仕事でした。でも、支援センターにいらっしゃる方の人生は、その場で動いていきます。仕事の射程が、会社の外まで伸びた感覚でした。

自治体と一緒に立ち上げた事業で、保育施設を併設した就業施設の運営にも関わりました。働きたいのに預け先がない、という状態を、施設の設計から変えようとしていた仕事です。

Qその後、ベンチャー企業に移られ、執行役員・人事責任者としてIPOも経験されています。以前とは、何がいちばん違ったのでしょうか?

ベンチャー企業へは、会社命令で出向しました。その後、その会社に転職しています。10〜30人規模の組織で、人事の立ち上げから、採用、評価、制度、教育、福利厚生まで、全部担いました。

整った環境で一部分を担当するのではなく、正解のない状況で意思決定して、結果に責任を持つ。それが日常でした。人事の仕事は、教科書どおりにやっても組織に合わないことが多いんです。制度をつくるときも、この会社の、この人数の、この時期に何が必要かを、自分で決めるしかない。決めて、間違えて、直す。それを繰り返していました。

その経験の積み重ねが、経営者としての土台になったと思っています。

Q長く人事をされてきたなかで、いまも忘れられない相談はありますか?

あります。子どもの保育園のお迎えがある社員から、「正社員から時短の契約社員に変えてほしい」と相談されたことです。理由を聞いたら、「契約社員になれば、堂々と定時で帰れるから」と。

制度はありました。本人に能力がないわけでも、仕事を続けたい気持ちがないわけでもありません。ただ、当時は、長く働いている人のほうが頑張っているように見られる空気もあって。お迎えのために先に帰ることに、本人がすごく肩身の狭さを感じていたんです。

すごく悔しかったです。能力ではなく、働ける時間によって、自分からキャリアを狭めようとしてしまう。制度があったとしても、使う側が肩身の狭さを感じていたら、本当の意味では使える制度ではないと思いました。

人事だからこそ届く相談は、ほかにもありました。異動を命じられたけれど、実は妊活中で迷っている。産休を予定していたけれど、流産を経験した。育児と仕事の両立に悩んでいる。表面上の退職理由だけでは見えてこない事情が、いつも後ろにあります。そうした相談を重ねるなかで、会社の制度だけでは救えない人がいる、と感じるようになりました。

「制度があったとしても、使う側が肩身の狭さを感じていたら、本当の意味では使える制度ではない」

04
SECTION 04

復帰したら、役職がなかった

Q山中さんにとって、最も大きな転機は何だったのでしょうか?

妊活、出産、育休復帰を通じて、それまで積み上げてきたキャリアが大きく変わったことです。私にとって最大の転機であり、同時に、最も苦しかった経験でもあります。

当時は、上場企業の執行役員、人事責任者として働いていました。一方で、妊活と責任ある仕事を両立する難しさにも直面しました。そして産休・育休から復帰したとき、役職を離れて、メンバーとして働くことになりました。

当時の私は、それを当然として、違和感もありませんでした。子どもを産んだのだから、以前と同じようには働けない。会社から配慮してもらう以上、キャリアが後退するのも当然だと思っていました。

でも、時間がたつにつれて、仕事が面白くなくなりました。そして、そのラベリングされた状態に、違和感を持つようになりました。自分の希望を会社に伝えるという発想も、あまりなかったです。「会社から提示された条件の中でどうするか」という考え方になっていました。いま振り返ると、かなり遠慮していたと思います。

Qいまの山中さんが、当時のご自身に声をかけるとしたら、何と言われますか?

「まず相談しよう」と言いたいです。それと、「選択肢を集めよう」と。

自分だけで考えていると、いま見えている選択肢しかないように思ってしまいます。でも、誰かに相談したり、情報を集めたりすると、別の道が見えることもあります。最初から用意されている選択肢の中だけで決めなくてもいいと思うんです。

実際の私は、もっと自分の経験や能力を発揮できる環境を求めて、再びスタートアップ企業へ転職しました。組織のグロースと、IPOに向けて走り始めました。苦しい環境に身を置いて大変だったのではないかと思われがちですが、当の本人は、もちろん大変な思いもしつつ、充実して楽しい日々だったんです。

Qその後、フリーランスへと働き方を変えられたのは、なぜだったのでしょうか?

子どもが小学校3年生になる頃に、いわゆる「小3の壁」に直面しました。学童に入れない問題です。

仕事か子育てか、自分が今大切に思うことを選択したい。でも、そもそも両方大切なのに、選択しなくてはいけないのか? と思いました。それなら、自分で両方を大切にしてみせると。結果的にフリーランスという形を選んで、在宅を中心とした働き方へと切り替えていきました。複数の企業を支援する形です。

企業の人事として、できることはたくさんあります。制度も変えられますし、社員の相談に乗ることもできます。でも、一社の人事としてできることには限界もあります。働く人が求めているものと、企業側が用意している制度や環境が噛み合っていないことも多い。そこをもっと広い範囲で変えていきたいという思いがありました。

「そもそも両方大切なのに、選択しなくてはいけないのか。それなら、自分で両方を大切にしてみせると」

05
SECTION 05

事業を閉じても、目的は手放さなかった

QQOOLキャリアとは、どのように出会い、代表への就任を決められたのでしょうか?

フリーランスとして働いていたときに、ベルタの代表の武川さんと、QOOLキャリアという事業に出会いました。ベルタ社は、ライフステージにおける課題解決をミッションにしている会社です。QOOLキャリアは、キャリアとの両立課題を解決する事業として、ベルタ社から誕生しました。

自分の経験は、この事業のためにあったのかな、と。妙に冷静に、そう思いました。それで、ライフワークとして代表に就任し、事業に取り組むことになりました。2022年4月です。

妊娠や出産、育児や介護。ライフステージの変化は、時に大変です。でも、人として前へ進むきっかけや、成長の機会をくれるものでもあります。そうやって、人の人生はストーリーが豊かに描かれていくのだと実感しています。

もちろん、本人の意思とは関係なく突然訪れてしまうものでもあって、戸惑うこともあります。ただ、事前に選択肢を知っておくことや、仲間をつくっておくことで、捉え方も向き合い方も変わると思うのです。自分の人生の経験が、社会課題の解決や、個人の人生のヒントにつながるのであれば最高だと思います。

Q事業は、最初からうまくいったのでしょうか?

もちろん、最初からうまくいったわけではありません。ワーキングマザー向けのtoCサービス、キャリア相談と転職支援を運営していましたが、コロナ禍を経て、その事業にニーズがなくなり、クローズする決断となりました。

子育て中のママは産休育休から復帰できず、退職を迫られていました。転職したいというママから、たくさんの問い合わせをいただきました。でも、ワーキングマザーを採用したいという企業がなかったんです。子育てをしながら仕事を頑張りたい女性の多くが、路頭に迷う時代でした。個人をどれだけ支援しても、行き先がない。だから、働きかける相手を変える必要があると考えました。

少子高齢化の時代において、これからは組織の中の多くの人材が、何らかのプライベートな事情を抱えて、仕事と両立することとなります。ライフステージの変化により働き方を変えざるを得ない人も、その個人の我慢や頑張りで乗り越えるのではなく、企業や管理職、人事、そして家庭も含めた環境そのものに働きかける必要があると思いました。

企業側の体質そのものを変えていく。働く私たちも意識を変えていく。その必要性を感じて、事業をゼロから構築しました。それが、いまのTUMUGUです。

Q事業を閉じるという判断から、何を学ばれたのでしょうか?

一つの方法に固執しないことと、目的を見失わないことです。うまくいかないときに、過去の成功や費やした時間に執着して事業を延命すれば、関わる人の傷を深くしてしまいます。経営者に必要なのは、失敗をなかったことにする力ではなく、現実を直視し、守るべきものと変えるべきものを見極める力だと思っています。

私が守りたかったのは、「ライフステージの変化によって、誰かがキャリアを諦めなくていい社会をつくる」という目的です。だから現在の経営でも、事業や制度をつくる際には、決められたやり方を守ることより、「この仕組みは、本当に目の前の人の選択肢を増やしているか」を問い続けています。

苦しい時期を支えていたのは、キャリアも子育ても、短期的な一場面だけで判断しなかったことでした。今うまくできないからといって、すべてを諦める必要はない。長い時間軸で考えれば、方法を変えながら続けることができます。

降格も、子育てとの両立も、事業のクローズも、その瞬間には失敗や後退に見えました。しかし、その経験があったからこそ、現在の事業が生まれました。遠回りに見える経験も、意味づけを変え、次の行動につなげることができれば、すべて経営者としての資産になると考えています。

「経営者に必要なのは、失敗をなかったことにする力ではなく、現実を直視し、守るべきものと変えるべきものを見極める力です」

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SECTION 06

最初から、正解を当てなくていい

Q最終的に、どのような社会をつくりたいとお考えでしょうか?

「仕事か家庭か」のように、何か一つを選ばなければならない社会ではなくしたいです。

ライフステージによって働き方が変わること自体は、悪いことではありません。アクセルを踏む時期があってもいいし、一度ペースを落とす時期があってもいい。大切なのは、「他に選択肢がなかったから」ではなく、「自分で選んだ」と思えることだと思っています。

対象は、子育て中の女性に限りません。妊活、介護、転職、管理職への挑戦、独立。人生のさまざまな場面で、働き方を考え直す瞬間は訪れます。そのときに、一つの選択によって、その後の可能性まで固定されない。何度でも選び直せる。そういう社会にしたいです。

最近は、やりがいの置き場所も変わりました。自分自身が成果を出すこと以上に、誰かが成長したり、その人の人生の選択肢が広がったりすることに、より大きなやりがいを感じるようになりました。

Qこれから社会に出る若者へ、伝えたいことはありますか?

最初から正解を当てようとしなくてもいいと思います。私自身も、最初から今の仕事を目指していたわけではありません。そのとき、そのときで選択してきた結果、今があります。

順調にキャリアアップしてきたように見えるかもしれませんが、全然そんなことはないです。新しい役割を任されたときには、「自分にできるのかな」と思うこともありました。執行役員を経験したときも、「自分がこの場所にいていいのだろうか」と考えることはありました。ずっと自信があったわけではありません。それでも続けてこられたのは、新しいことに挑戦したり、サービスをつくったり、仲間と一緒に何かを進めたりすることが好きなんだと思います。

迷ったら、人に相談してみる。情報を集める。今自分に見えているもの以外にも、選択肢があるかもしれないと考える。そうやって進んでいけばいいと思います。私の社会人生活の最初は、契約社員でした。企業研究や自己分析に、きちんと触れることもないまま社会に出ています。それでも、目の前の仕事に向き合って、自分にできることを一つずつ増やしていけば、道はつながっていきます。少なくとも私は、そうやってきました。

一度選んだ道を、途中で変えてもいいんです。環境も変わりますし、自分自身も変わります。一度選んだからといって、その選択に一生縛られる必要はありません。そのときの自分が納得できる選択をして、違うと思ったらまた選び直せばいい。キャリアは、何度でもつくり直せるものだと思います。

Q20代のうちに、どんな姿勢で働いてほしいとお考えでしょうか?

私のやっているビジネスは、女性活躍のようなテーマなので、ちょっと緩い感じが伝わりがちなんです。優しい社会、みたいな。でも私は、全然優しくないんですよ。

自分がやりたいことなんて、みんな、ほとんどない中で社会に出ていきます。そこで、いかに目の前のことに頑張れるか。頑張ってきた先に、自分がそれを使命だと思ってやりきれるものが見えてくる。若いうちは、とにかく目の前のことにがむしゃらに向き合っていかないと、自分の強みも、何ができるのかも、何がやりたいのかも見えてきません。個性も、ただとがっているだけでは変わった人になってしまいます。成果を出したうえでの個性は、みんなが認めてくれて、強みになっていくものです。だから、若いうちはとにかく打席に立って、行動して、自分で決断する。それをやっていかないと、市場価値は上がっていかない。若い人には厳しめのメッセージかもしれません。

特に女性の方には、本当に意識を高く持って取り組んでいただきたいです。いま、女性が第一子を出産する平均年齢は31歳です。いちばんの働き盛りで、管理職に上がる手前ぐらいのときに、2年、子どもが2人なら4年ぐらいのブランクがあって、30代後半で冷静になったときに「私、何ができる人なんだっけ」となる。だから、そうなる前が勝負だと思います。いかにがむしゃらにやれるか。そこから強みや、やりたいことが見えてきたら、そこを磨いていけばいい。

もうひとつ、私は「ご機嫌」を強みに生きてきました。セルフマネジメントは、トレーニングでしかできません。ご機嫌な人にしか、いい仕事は回ってこないんです。挨拶をしない人に、仕事は回ってこないですよね。自分をコントロールできないのは、子どもだったりするじゃないですか。おやつを買ってくれなかったら「買って」と言う。そのまま大人になったら、誰もいい仕事をくれません。自分のご機嫌は自分で取る。セルフマネジメントが、プロとしての土台だと思っています。プロの野球選手が「今日はめっちゃ眠い」「だるい」と言って打てなかったら、もうプロじゃないですからね。

ライフステージの変化は、突然訪れます。そのときに慌てないために、事前に選択肢を知っておくことと、仲間をつくっておくこと。その2つがあるだけで、同じ出来事の捉え方が変わります。

「キャリアは、何度でもつくり直せるものだと思います」

EDITOR'S NOTE / 編集後記

今回、山中さんの歩みをたどるなかで最も印象に残ったのは、「上場企業の執行役員」や「代表取締役」という経歴ではありませんでした。「堂々と定時で帰りたいから、契約社員になりたい」。人事時代に寄せられた、その相談です。

能力もある。働きたい気持ちもある。会社には制度もある。それでも、周囲に迷惑をかけていると感じ、自分からキャリアを狭めようとしてしまう。そして、その相談を受けていた山中さん自身も、育休から復帰したときに役職を離れ、それを当然のことだと受け止めていました。違和感を持つまでに、時間がかかっています。

だからこそ、「まず相談する」「選択肢を集める」という言葉が強く残りました。一方で、若い人には「私は全然優しくない」と言い切り、打席に立つこと、自分のご機嫌は自分で取ることを求める。選び直せる社会を語る人が、選ぶ力を鍛える厳しさも同時に手放していないことが、とても印象的でした。

インストラクターから、派遣の事務職へ。人事、執行役員、そして一度の降格。フリーランスを経て、経営者へ。三重の田舎から出てきた学生は、起業も経営も考えていませんでした。山中さんの歩みに、一直線の計画はありません。

正解は最初から置かれているものではなく、選び続けた先で、自分自身がつくっていくものなのかもしれません。正解を当てることより、自分で選べる状態をつくること。そして、必要なら何度でも選び直すこと。キャリアだけではなく、人生そのものに通じる考え方だと感じました。

山中 泰子株式会社QOOLキャリア 代表取締役

株式会社QOOLキャリア 代表取締役。三重県出身。東京学芸大学教育学部を卒業後、中学・高校の教員免許を取得し、体育会陸上競技部で競技に打ち込む。就職氷河期のなかで就職活動は後手にまわり、契約社員としてインストラクターの仕事から社会人生活をスタート。結婚を機にパートナーと休日が合わなくなったことから、派遣で事務職へキャリアチェンジ。人前で話す経験を活かせる仕事として新卒採用の会社説明会を担当する職に応募し、人事のキャリアが始まる。パソナグループでは営業・人事として新卒採用、中途採用、人事制度の立ち上げなどを幅広く担当。29歳頃にはひとり親家庭の就業支援事業に携わり、自治体と連携して全国各地に支援センターを立ち上げ、保育施設を併設した就業施設の運営にも関わった。その後、会社命令でベンチャー企業へ出向し、同社へ転職。10〜30人規模の組織で人事の立ち上げから採用・評価・制度・教育・福利厚生までを担い、執行役員・人事責任者としてIPOを経験する。妊活・出産を経て産休・育休から復帰した際に役職を離れ、メンバーとして働くことになったが、その状態への違和感からスタートアップ企業へ転職し、組織グロースとIPOに向けて走る。子どもが小学3年生になる頃に「小3の壁」に直面し、フリーランスとして在宅中心の働き方へ移行、複数企業を支援。2022年4月、株式会社QOOLキャリア代表取締役に就任。現在は産前産後女性のキャリア支援、人事領域コンサルティング、ライフステージ特化型福利厚生サービス「TUMUGU」を通じて、ライフステージの変化によって誰かがキャリアを諦めなくていい社会づくりに取り組んでいる。

株式会社QOOLキャリア

設立:2020年12月

代表取締役:山中 泰子

本社:〒107-0061 東京都港区北青山2-12-28 青山ビル5階

資本金:1,000万円

事業内容:キャリア支援メディア事業/人事領域コンサルティング/ライフステージ特化型福利厚生サービス「TUMUGU」の運営

グループ:株式会社ベルタのグループ会社

コーポレートサイト:https://career.qo-ol.jp/

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